宋元仏画を見て

はじめ  

                           ごあいさつ

京都国立博物館で「宋元仏画 ~蒼海を越えたほとけたち」という特別展が開催されておりました。小弟、開催期日(2025年11月16日【日】)が切れる五日前の11月11日(日)に行ってまいりました。天気も良く、広大な博物館の紅葉も青空に映えて、秋たけなわの彩でありました。この紅葉を見るだけでも価値があると思い満足しております。下の写真は、小弟が撮ったものでございます。どうぞご覧ください。

鑑賞雑感

音声ガイドをお借りして、主だった展示物を見て参りました。私は、入館するまでは、中国から作品が送られてきて会場に展示されたものと思っておりましたが、そうではなく、宋元時代の僧侶が、中国から日本に来る時に持って来た作品、或いは我が国の当時の僧侶・画家などが描いた作品が展示されておりました。展示作品の所蔵先は、全て国内の仏閣・美術館であります。(写真添付「音声ガイドリスト」を参照して下さい。)

今回の「雑感」は、下表の赤🟥○作品に限らせていただきたした。

牧谿(もっけい)

まず牧谿から始めます。
牧谿は、禅宗の高僧無準師範の門下であり、住まいは、南宋の首都臨安、風光明媚な西湖の畔に臨む六通寺(現在は廃寺)に住み活動しておりました。買似道(か じどう)という大物政治家などと交流があり、当時は画家としてそれなりに評価されており、江南山水画の主流におりました。しかし、没後は次第に忘れられていき、文人画の流行に押されて評価は低くなったようです。
しかし、牧谿の作品の多くは日本にあるようです。
南宋末元初と元末明初の王朝交代期の混乱による作品の流出や、日本と中国の禅宗寺院の交流が頻繁で、牧谿と同門にいた無学祖元や兀庵普寧(ごったんふねん)など来日した中国僧や円爾などの日本の留学僧も多くいたことから、14世紀初めの鎌倉時代に牧谿の作品が多く日本に持ち込まれております。
特に牧谿の独特な技法によって描かれた水墨画は、見る者に湿潤な大気を実感させ高く評価され、多くの追随者を産んだようであります。
牧谿のモチーフの中でも猿は非常に人気があり、雪村や式部輝忠といった関東水墨画の絵師たちも多く作品を持っていたようです。最も熱心に牧谿を学んだのは「長谷川等伯」です。等伯は、牧谿の技法等を真似て描いた作品が下記写真ですが、よく似た筆遣いで画風もよく似た作品を描いております。

※長谷川等伯について知りたい方は下記のURLをクリックして下さい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E7%AD%89%E4%BC%AF

現在でも、牧谿の作品はほぼ全て日本にあり、中国・台湾・欧米には、伝称作を含め牧谿の絵はほとんど存在しないと言われている。

下記作品の紹介資料「音声ガイドリスト」「1」には「◎遠浦帰帆図 伝牧谿筆」と記載されておりますが、この様に「伝牧谿筆」と紹介されている理由は、牧谿の作品は多く日本に伝来しておりますが、その多くは「伝牧谿筆」として扱われております。「伝牧谿筆」とは、牧谿自身の手によるものと推測されているものの、「牧谿」作という確実な証拠がない作品であることを示しております。

もう少し詳しく説明すると、
下記作品は、紹介資料「音声ガイドリスト」の「◎遠浦帰帆図 伝牧谿筆」と紹介された水墨画です。この水墨画の向かって左側の下の角に「落款」の様なものが押してありますが、これは「牧谿」の落款ではなく「道有(どうゆう)」と読める印章で、道有とは、足利義満が晩年、出家して、僧侶になった時の名前です。義満は、牧谿の熱烈なファンで、この水墨画の持ち主が、道有こと「足利義満」であることを、わざわざ所有権を示すため押したハンコです。こういうハンコを作者が押すと落款と言いますが、所有権を主張する印鑑のことを「鑑蔵印(かんぞういん)」と言います。
実際に絵を描いたのは「牧谿」と考えられますが、確証がない事から「伝牧谿筆」と言われております。

無準師範の作品

無準師範像 自賛
この軸は、南宋の臨済宗の僧師「無準師範」が弟子「円爾」(日本から南宋に禅宗を学びに行った留学僧)に与えた「頂相(ちんそう)」です。「頂相」は、師僧が自画像を描き、賛を書いて弟子に与えて、弟子僧が師の教えを習得したことの証として与えるものです。日本から中国(南宋)に学びに行った「円爾」は、頂いた「頂相」を見て、精進修行するわけです。
無準僧師は書にも、絵にも長じており、この作品の絵も、書も自分で書いたようです。これを「自画自賛」と言います。
無準の弟子には。円爾・兀庵普寧(ごったんふねい)・無学祖元・牧谿などが居ました。
※「円爾」について知りたい方は下記URLをクリックして下さい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E7%88%BE

おわりに

この「宋元仏画」は、中国の宋代(960~1279年)から元代(1271~1368年)にかけて描かれた仏教絵画を言います。その特徴は、
高い芸術性 中国絵画史上でも非常に高い水準を持つ作品が多く、繊細な筆遣いと豊かな表現力が特徴です。
・日本への舶載と伝世 平安時代後期から鎌倉時代にかけて、仏教の先進国であった中国から
 多くの仏画が日本に持ち込まれました。これらの作品は日本国内で非常に大切に保存されて
 きたため、中国本土では社会の変化(政権交代時の混乱等)の中で多くが失われたのに対し、 
 現在では世界で最も多くの宋元仏画が残っているのは日本であると言われています。
日本美術への影響
 日本に舶載された宋元仏画は、当時の日本の仏画作成にも大きな影響を与え、日本の仏教
 美術の発展に寄与しました。(長谷川等伯など)
多様な主題 仏陀や菩薩、羅漢図、禅宗の祖師の肖像画である「頂相(ちんそう)」など、多
 様な主題が描かれました。
などと言われています。
確かにその通りだと思いますが、

少し補足説明いたしますと、仏教の発祥の地は、インドであり創始は「ゴータマ・シッダルタ(釈迦)」であります。そして、釈迦から27代目の「般若多羅」の遺言で菩提達磨は中国にわたり、禅宗の開祖となります。達磨大師は、釈迦から数えて28代目の尊師であります。この28代目の尊師「達磨大師」が、中国で「禅宗」の開祖となりました。達磨大師の没年は、530年(150歳)と言われていますが、諸説ありはっきり言えません。
大雑把に言いますと、日本の歴史の流れは、荘園時代の貴族社会(平安時代)~荘園制度が崩壊し武家社会(武家社会=鎌倉・室町時代)へ移行する中で、宗教も変わります。すなわち平安仏教(浄土宗など)から武家社会の武士の心の支柱になる宗教(禅宗)が柱になり、絵画も「浄土信仰」の仏画から「潔さを死生観とする禅宗絵画」と変わっていきます。

今回の「宋元仏画」は、まさに鎌倉・室町時代にピッタリの「絵画だ」と小弟は認識してあります。そして、小弟は、時代により変化する「仏画」を時代に沿った「新たな仏画」に書き換えることに挑戦したいと考えております。「その真っ只中に居る」のです。

小弟が立ち上げた{「BIog」の名称を『単に紙こより画』としておりましたが、ここ数日の間に「Blog」タイトルを『紙こより画~画禅一如』に変更しました。
「紙こより画」で「禅画」を追求したいと思っております。

少々、大げさで肩に力の入った発言になりましが、斯様に考えております。

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