74回目の誕生日

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今回のタイトルは、「紙こより画」とは関係ないので、申し訳ありません。74年間生きて来て思う所を述べて寿命を全うしたいと考えて投稿いたします。

本論

私は、74年前の1月8日に弾みで生まれ、ついでに生ておりました。基本的にはニヒリストかな?

同じ生まれの有名人、エルビス・プレスリーなどが居られますが、うだつの上がらぬ人生に甘んじて、憚っておりますが、与えられた人生を有意義に過ごしたいと思っております。

母親は、私の事を「親不孝な子供」と嘆いていたと思います。母がよく言っていた言葉に「朝生まれの子供は『親不孝』だ」と。仕事をしようと思って起きた時に「産気づいて」出産し、数日、就労不能になり苦労した様です。そして、私は、産まれてすぐ重病に罹患し、医者から見放されたようです。その時、私は乳児でしたが、なぜか私が寝ていた部屋の記憶があるのです。この体験は、身体から魂が遊離して頭のあたりに、私(霊)が立ち、見下ろしている状態でした。これは不思議な体験でした。それから、無事成長しましたが、体は弱く、親は苦労した様です。そんな成長期を終えて、大学を6年行き、プー太郎を5年経て、已む無く警察官になり、結婚をして二児を授かり、普通に生活しておりましたが、山間の駐在所で2年間過ごした頃に、2回「死んだ」と思ったことがあります。

山村の駐在所で、年下の同期生と別の駐在所で勤務し、一緒に市内の本署に向かう途中、山のカーブが連続する狭路で、先頭を走る「年下の同期生」が左カーブで道幅いっぱいのダンプカーとバイクで対抗し、その直後、私も数メートル離れて追走しておりました。追走している私の正面に、道一杯のダンプカーと対面し当たると思い、「死んだ」と思ったのですが、その時、不思議なことが起こったのです。私の運転するバイクが、ダンプカーの直前を直角に曲がり、衝突を避けたのです。私はそんなハンドル捌きをした記憶などありません。そして、年下の同期生が戻って来て、私に「おかにっちゃん、死んだ思った」と言う第一声でした。私も「死んだと思ったわ」と言って本署に向かった事があります。それから、相勤者が休みの駐在所で、空き巣被害の申告が本署に入り、私に「現場」に行く様に指示があり、急いで高速道路を利用して「現場急行」したのでが、急いでいたので、スピードが出ていたのでしょうか?インターチェンジを出る時に、本線とランプウェーの分離ポールに激突しそうになり、この時も「死んだ」と思ったのですが、パトカーは、ポールを避けて直角に曲がり、回避したのです。

この2回の経験は、私に「守り神」が着いていると実感させてくれました。この神は、なぜか「母親」だと思いました。そして、「俺は、母親に守られている」と思う様になりました。

締め

私は、世を拗ねて「世間を斜に見る」人間でありましたが、歳を重ね、世に揉まれて、角が落ちて丸くなり、なんとか無事に職責を全うしましたが、最近、歳を感じ、写経を始め、なんとか無事に過ごしておりますが、歳を重ねて、世間に揉まれ、丸くなって自分を誤魔化して生きておりましたが、ある禅語との出会いで、正念が入り、余命を生きる力を頂きました。

妙心寺の二代目住職「微妙大師」の唯一の墨跡「少水魚有楽」に教えられる、日々、楽しく生かしてもらっております。興味のある方は是非、私のブログ、「少水魚有楽(1)」「少水魚有楽(2)」をお読みください。

追伸

家内から、ショートケーキを買って頂きました。

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