少水魚有楽(1)

  ごあいさつ - 紙こより画 ~ 画禅一如: 少水魚有楽(1)

小弟、ネットで禅語など心に沁みる言葉をソファーに座り、リラックスした状態で探していると、目に留まったのが「少水魚有楽(しょうすいのうお たのしみあり)」でした。これは禅語か ? 否か ? 興味が湧き、調べてみました。その結果、禅語の様です。この言葉は、臨済宗妙心寺派の微妙大師(みみょうたいし)が唯一残した言葉だそうです。 

少水魚有楽           しょうすいのうお らくあり   元は法句経に「少水の魚の如し、斯(ここ)に何の楽しみか有らん」とあったようですが、これを「少水魚に楽しみ有り」と言い換えられた様です。金魚鉢の水を寿命に例えて、一日経てば水中の酸素は減り、日毎に酸素は減っていきます。一日生きれば、寿命は一日減ります。無常の人生に楽しみははいと「法句経」では説いておりますが、南北朝時代に、妙心寺二代目住職「微妙大師」は、一見すると苦しい状況(少水)でも、諦めずに「今」ここにある真の喜び(楽)を見出すこと、すなわち『人生の無常の中で、真の安楽を見出す』という禅の教えの核心を現すために「有楽」と書いたようです。

微妙大師の生涯

微妙大師(授翁宗弼禅師)は、妙心寺の開山無相大師(関山慧玄禅師)のただ一人の後継者で、元は後醍醐天皇の忠臣てあった萬里小路藤房と言われています。39歳で出家し求道されたそうです。

出家後、微妙大師は約20年にわたり、各地を行脚し修行を重ね、後に無相大師を師として参じ、その厳しい指導により61歳でお悟りを開かれました。
それから数年後、無相大師は、風水泉という井戸のほとりで、最後の教えを微妙大師に伝えられ逝去され、これにより微妙大師は65歳で第二代目の妙心寺住職に就任されました。そして、75歳に無因宗因禅師を正式の後継者に育て上げて、1380年3月28日に85歳で亡くなられました。そして同年、妙心寺に塔所(墓所)として天授院(てんじゅんいん=現在本派の修行道場)が建てられ、また、滋賀県三雲の妙感寺には、師の墓塔があり、微妙大師がこの地で亡くなった証となっています。

この言葉「少水魚有楽」は、微妙大師の墨跡にある言葉ですが、この言葉は経典や語録には見当たりません。微妙大師のオリジナルの言葉の様です。
小弟は、松原泰道師をネットで知ったのですが、非常に端的・明解な表現をされる方で解りやすい文章を書かれておりました。「一日生きれば、寿命は一日減る。年を取れば、残りの寿命も減ってくるわけです。金魚鉢の水が、日が経てば段々少なくなり金魚の余命も少なくなります。少なくなる水に泳ぐ金魚は、死が迫り来ることを恐れ、或いは死から逃れようと苦しみ 藻搔くと思いますが、それなのに、微妙大師は、「法句経」の生きる苦しみを「少水魚有苦」とは書かず、逆に「少水魚有楽」と書かれたのです。金魚が泳ぐ水槽の水は、毎日減り続け、金魚の寿命は、1日生きれば1日減りますが、そんな中でも、生きることの楽しを知り、生きる事を薦める為に「有楽」と書かれたのだと思います。小弟、これを知り、日々衰えていく足腰を死ぬまで使える様に脚力の強化を図らねばと思い立ち、天狗の「一枚歯」の下駄を購入しました。(下記写真をご覧下さい。)                           微妙大師の生涯について、知りたい方は下記のURIをクリックして下さい。  
 https://www.myoshinji.or.jp/application/files/8217/3760/5800/myodaishi_syogai.pdf

一枚歯下駄

人間は、二足歩行でありますが、体幹能力が低下すると歩行困難になります。理由は、歩行前進するのは、右足を前に出し、次に左足を前に移動して前進するですが、左足を前に出し着地するまで、ほんの僅かな時間ですが、全身を右足一本で支えなければなりません。この時、振らつくと転倒、若しくは真っ直ぐ歩けないことが起こります。体幹強化用の一本歯下駄が有効と考え購入しました。

松村泰道師について

小弟が、松原泰道師を知ったのは、今から何年前なのか、はっきりしないのですが、そんな昔ではありません。定年退職して10年以上は経つかもしれませんが・・・。 山登りをしたり(富士山にも3回登頂)、絵をかいたり、書道をしたり、俳句や短歌を楽しんだり、人・自然・時の流れなどを楽しんで過ごして参りました。そんな時、「あれを見よ 深山の桜 咲きにけり 真心尽くせ 人知らずとも」という短歌と出合い、事あるごとに口ずさんで居りました。そのうちに泰道師の「人となり」がぼんやりと見えてきて、興味を持ち始め、勉強させて貰いました。

泰道師は、早稲田大学を卒業され、就職活動もされたようですが、就職難で就職できず、就職先が決まらない友人5人と旅行された様です。その時に、旅行先で石碑に刻された「この短歌」を見られたようです。そしてその時、友人五人は「恥ずかしくない生き方をしょう」と互いに約束し合ったと書かれておりました。私も、この歌が言う様に「人が、見ていようが、見てなかろうが、誠実に生きる」ことを決めた記憶があります。数年経過して「絵」を教える機会があり、絵と文字で精神的な安定を味わっていただける様な書画を志し、皆様が平穏に暮らしていける作品を描きたい、伝えたいと思い、今も「絵」を描き続けております。書画を教える機会を得た時に、作品に添える言葉を見つける為に本を用意したのですが、購入時には、全く気付きませんでしたが、購入した本は、「松原泰道師のお孫さん、細川晋輔氏の『迷いが消える禅のひとこと』」でありました。そして、更に驚いた事は、微妙大師は、二代目妙心寺住職であり、松原氏も細川氏も臨済宗の妙心寺で修行され、妙心寺とご縁の深い方々であることも知り、更に驚いた次第であります。

松原泰道師と妙心寺の御縁

「あれを見よ 深山の桜 咲きにけり 真心尽くせ 人知らずとも」の歌を介して松原泰道師を知り、また「少水魚有楽」と言う言葉を介して、妙心寺二代目住職「微妙大師」と御縁を頂いたと思っております。更に、これに加えてもう一つ、今(2025)年6月に、妙心寺で開催された「金澤翔子展」にも行かせて頂きました。お母様(金澤泰子さん)の講話なども拝聴致しました。この金澤母子も「この妙心寺」に深いご縁がある方だと知りました。妙心寺との不思議な御縁を感じた次第であります。

振り返れば、妙心寺へ導かれている様な気が致します。今年もあと僅か。年内にお詣りしようと思っております。   合掌

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