「紙こより画」教室資料
NO.1 (2026.03.05) ごあいさつ
はじめに
本日の講習のテーマ「少水魚有楽(しょうすいのうお らくあり)」について説明します。

・左の書画の写真は、臨済宗妙心寺の開山・関山慧玄(カンザンエゲン)の弟子・授翁宗弼(じゅおうそうひつ・「微妙大師」)が、唯一残した墨跡です。
・意味 = 「魚にとって水が少ない(寿命が尽きようとしている)無常の世にあっても、今ここにある真の喜び・希望を見出して生きなさい」と言っている禅語です。
・法句経には「少水の魚の如し、其処に何の楽しみか有らん」という教えがあります。これを微妙大師は刻一刻と死に近づく(寿命が減る)状況でも、その命の尊さに気づき、今、この瞬間を精一杯生きること(「今を生きる」)の大切さを教えたのです。
微妙大師の生涯
・微妙大師は、興祖微妙大師(授翁宗弼禅師)として、妙心寺の開山・無相大師(関山慧玄禅師)のただ一人の後継者です。
・もとは後醍醐天皇の忠臣で、萬里小路藤房(までのこうじ ふじふさ)卿と称し、39歳で出家して、約20年にわり、各地を行脚し、その後、妙心寺の開祖無相大師(関山慧玄禅師)の弟子となり、その厳しい指導を受けて、61歳で「悟り」を開きます。
・それから数年後、無相大師(関山慧玄禅師)は「風水泉」という井戸のほとりで微妙大師に最後の教えを伝えて逝去され、微妙禅師、65歳の時、妙心寺二代目住職となりました。
・更に、76歳の時、無因宗因禅師を後継者に育てあげ、85歳で亡くなっています。
興祖微妙(みみょう)大師
興祖微妙大師という呼び名は、比較的新しい呼び名であります。
この呼び方は、現在、開催されている「興祖微妙大師650年遠忌記念・『特別展』妙心寺」という展覧会が大阪市立美術館で行われておりますが、この「微妙大師」の「微妙」は昭和2年(1927年)、昭和天皇から賜った称号であり、また、「興祖」も妙心寺開創期に、造営と興隆の功績を讃えて付けられた尊称であります。
おわりに
私のブログのタイトルは、「坐禅一如」です。
絵を描くことと坐禅(禅)の精神は、根本的には同じであるという考えに基づいて書画することを目指しております。
心を澄ませ、無心になって描いてください。書かれた作品を飾り、作品を鑑賞して下さい。
<完>
参考
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