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『紙こより』de『達磨』

はじめに

 去年の10月から「達磨寺」(奈良県王寺町)の方丈をお借りして、月二回程度、『紙こより画』の展示・販売をさせてもらっています。その時に併せて、『紙こより画』の体験を希望される方には「ワンコイン体験」と称して参加していただいております。

  今まで「達磨寺」とは、余り「ご縁」がなかったのですが、達磨寺の「方丈ファンクラブ」(一般社団法人王寺まちづくり)に入り、方丈をおかりして、『紙こより画』の展示・販売会をやらせて頂いております。こんな「良いご縁」が、こんなに近くにあるとは思いもみませんでした。
「達磨寺」は、推古天皇の時代に聖徳太子がこの辺りを歩いておられる時に、行路病人(達磨大師の化身)と出会い、衣や食べ物を与えられるなどして助けられたのですが、数日後に亡くなり、太子は墓を作って埋葬されたという話が『日本書紀(推古天皇条)』に記載されております。そして、鎌倉時代にこの墓地跡に達磨寺本堂が建てられ、方丈は、今ある位置に室町時代に建てられたそうです。下の写真は現代の達磨寺本堂写真です。

達磨寺本堂、ここに私の達磨絵が展示されてます。

なぜ ? 方丈で達磨絵を描くの

 達磨寺方丈は、歴史資料によると寛文7(1667)年に建立されてから350年以上経過しおり、建物全体が傾いていたため平成29年度から令和2年にかけて、半解体による保存修理工事が行われました。奈良県には本格的な方丈建築が少なく、建立当時の形式がよく保存されていたので、県指定の有形文化財に平成元(1989)年3月10日付で指定されたのです。
 私は、県指定文化財云々というよりも、方丈南側に面した枯山水庭園「亀集庭」と達磨寺の西に見える山並みから吹いて来る風に身を晒すのが心地よくて、ここで書画活動をしたいと思いました。また、この枯山水「亀集庭」には、水面に浮ぶ亀の頭と甲羅をイメージした岩があり、お釈迦様の説教『盲亀浮木』の話を思い出し、出逢い、或いは『生命の誕生』という『深い深い御縁』に思いを致し、この園庭が見える所で書画をしたいと思ったのです。
「盲亀浮木」の意味について知りたい方は下記リンクをタップして下さい。 https://yakushiji.or.jp/column/20201102/

また、私の方丈に関する説明でもの足らない方は、和辻鉄杖氏の「個人巡礼 古刹と絶景の健康ウォーキング(御朱印&風景印)」より『達磨寺 方丈と庭園』の解説を下記のURLにてご覧ください。
https://junreiwoguranomiyabi.blog.fc2.com/blog-entry-1085.html

方丈入口に設置した『紙こより画』作品展とワンコイン体験会の案内板です。私が、書いたものです。

方丈中央の部屋の扁額に「賞月」と記載あり、部屋は南に面しております。古人は、月を愛で浮世の刹那を詠ったのでしょうか?

方丈真ん中の部屋。入り口は南に面し古木に「賞月」とあり。
方丈内の枯山水。
「亀集庭」

亀集庭園を東から西に撮影したものです。水面に浮かぶ亀の頭と甲羅、わかりますか? マークを入れますとイメージが損なわれますので、ノーマークにしました。

枯山水庭園「亀集庭」を西から東にむけて撮影したものです。これも、亀頭と甲羅をノーマークにしました。

また、なぜ達磨絵を描くのか?

「ダルマ」さまは、子供の頃から遊びの中で、その名前を楽しく口にしておりましたが、年を重ねて「ダルマ」さまは、歴史に残る実在の偉い僧侶である事を知り、その精神が「不撓不屈」・「やり遂げる」という力強さ、或いは脆弱な魂に「喝」を入れる「達磨絵」として、座敷や部屋に飾られたり、「座右の銘」として身近に置かれておりました。また、転んでもすぐ起き上がり、諦めずに挑戦する根性による「開運」「商売繁盛」など「心願成就」の願いを込めて飾られていることにも親しみを感じておりました。私も、いつか達磨絵を部屋に飾る、或いは描きたいと思っておりました。

なぜ? いろんな顔の達磨絵があるの

  達磨大師を描き始めた頃は、なんにも考えずにネットで「達磨大師」を検索し、気に入った「達磨大師」を描いておりましたが、達磨大師の顔がいろいろあり、描き手によって顔が異なったておりましたが何とも思わず、これをお手本にして描いておりました。
 達磨大師は歴史的に実在した人物であり、達磨大師が何人もいたはずがないので、いろんな顔の達磨大師の絵があることが不思議なのですが、何とも思わず描いておりました。しかし、いつの頃か、達摩大師がどんな顔をされていたのか知りたくなり、ちょっと調べてみました。
 調べていくと、「悟りの証明」として師匠から弟子に「師匠の上半身」を描いた肖像画を伝授される習慣があったようです。その肖像画を『頂相(ちんぞう/ちょうそう)』といい、弟子はその『頂相』に描かれた師匠の姿と常に向き合い、「行」に励んだそうです。だから『頂相』のお顔の絵は、師匠の容貌を彷彿とさせるものでなければならず、理想化されることもなく本人の個性をそのままに、出来るだけ似せて描かれたようです。従って「達磨大師の肖像画」も描かれたはずなのですが、これが見つからないのです。           
 旺文社日本史事典 三訂版 『頂相』の解説。    
 禅宗では、弟子が一人前になると、その師は伝法のしるしとして肖像画に自賛を書いて弟子に与えたようです。この習慣は中国の北宋時代(960~1127)に盛んで、日本には鎌倉時代に伝えられて以来室町・江戸時代にも行われ、その写実的な描写法は肖像画の発展に大きく影響したようです。


 ひょっとすると、『頂相』の習慣は達磨大師が生きておられる時には無かったかも知れません。だから、達磨大師を描いた達磨絵がないのかも知れません。

達磨絵とは自分自身を描くことかも?

 達磨絵も、「頂相」の一種だと思うのですが、理由はご存知の通り菩提達磨は禅宗の開祖ですので、禅僧の師匠が「己が顔」を描かずに「禅の開祖の似顔絵」を描いて、賛を添えて与えたこともある様な気もします。師匠は、開祖達磨大師の御尊顔を「ええ加減」に描くことが出来ずその特徴を丁寧に「長い髭、大きな目や鼻、丸められた頭』など、どの達磨絵にも共通する特徴として描かれたのかもしれません。このように考えると達磨絵というのは、とどのつまり「達磨という人物」を描いているようですが「実は自分の顔」を描いているという事になるのかもしれません。上手下手に拘わらず、悟りの表現を「如何に描くか」などと大層に考えずに、まず、筆を取って気軽に書けばいいのかな ? と思います。 

私の達磨絵

 今回のテーマは《『紙こより』de『達磨絵』》ですので、達磨ばかりを見て頂いております。画風が他の「紙こより画」と少し違いますが、「紙こより」で描いております。描く対象によって墨跡を重くしたり、軽くしたり、異なります。他に、動植物も建物も描きますので、風合いの違いを 楽しんで頂けると思います。紙こより画の面白さは、人智を超えた意思が絵を描きます。思いもよらない線が突如現れますが、その無鉄砲な線を他の線と共存する様に描くのが、「紙こより画」の特長です。もっと簡単に言えば、「儘にならない『こよりの先』が、描いた絵は誰が描いた絵なのですか?」書き手本人の意思に反して出来た線で描かれた絵なのですが?

おわりに

「こよりdeダルマ」を中心に書きましたが、私のブログ投稿は2回目で、素人でありますので、私の意とする所が伝わり難かったかも知れません。申し訳ありません。技術的に未熟である事が大きな原因だと思ってます。暫く時間を頂戴すれば、マシになっていると思います。次回からは、内容的には、メインが仏像、続いて動物、植物など描きたいと思っております。既に数点手持ちの「動植物」の絵があります。またのお楽しみという事で宜しくお願いいたします。では、これで・・・。(完)

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「紙こより画」

 初めまして、私は「紙こより画家」として活動をしている「龍星」と申します。

 「紙こより画」???

初めて聞かれる方も多いと思います。実は、「紙こより画」は、今年(2024年)の春から「現代人気美術作家年鑑」の「日本画ジャンル」に初めて掲載された画法なのです。
 これが「何を意味するのか」分かりますか?
「紙こより画」が、「日本画」として「初めて認められた」ということなのです。

「紙こより画」は、ティッシュペーパーを「こより」にして、その先に「墨」をつけて書く画法です。
 筆では出せない、柔らかい線が引けます。また、思うように描けない線も出ます。しかし、「うまく引けた線」も「思うように描けない線」も、全てを受け入れて「一枚の絵」が出来上がっているのです。これが「紙こより画」なのです。
 そして、何とも言えない「味わい深い」線も描き出されるのです。決して、うまく描こうとせず、「こより」に任せて書き上げる。これが「紙こより画」です。
 子どもも、老若男女も、絵を描く「楽しみ・喜び」を味わって頂けます。

 下に、私が描いた拙い絵「紙こより画」を載せました。
 拙い絵ですが、何とも言えない、不思議な味わいを感じて頂ければ幸甚でございます。

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