釈迦入滅後1000年経過して禅宗開宗

   ごあいさつ  

『紙こより画』の普及・啓発のためにブログを始めました。ブログを始めて1年余りです。ブログ・タイトルは「画禅一如」といいます。『禅について』あまり詳しくないので勉強を始めたのですが、素朴な疑問を持ちました。そして、小弟と同じような疑問を持っておられる方が結構おられる事を知り、ブログを書きました。どうして釈尊入滅後、禅宗が開宗するまで凡そ1000年も掛かってたのかという疑問をもちました。

仏教の中に見る「禅的」色合い

仏教は、「十三宗五十六派」と呼ばれるほど多くの分派があります。天台宗、真言宗、浄土宗、浄土真宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗の「八宗」に黄檗宗、時宗など・・・。しかし、仏教の始祖は「お釈迦様」、禅宗の開祖は「菩提達磨」であります。いずれも「坐禅」をして「悟り」を開かれております。釈尊は悟りを得て、直ぐ行なった説法を「初転法輪(しょてんほうりん)」といいます。この「初転法輪」が仏教の始まりと言われています。
この「初転法輪」の説法では、仏教の基本的教義「四諦・八正道」が説かれ、この「八正道」の中に「正定(しょうじょう)」という「正しい心の集中(精神統一)」という修行法が挙げられており、これは「坐禅に似たもの」であります。この様に仏教には禅的色彩があるにもかかわらず、既存の宗派の中から「禅宗」という「新たな宗派」が立ち上がらず、インドから中国に渡った菩提達磨が『禅宗』を立ち上げたのであります。

楞伽宗(菩提達磨の元宗派)
菩提達磨の元の仏教宗派は、楞伽宗(りょうがしゅう)と呼ばれていた宗派です。この宗派は、初期の禅宗の呼称です。この教えは、達磨がインドから中国に渡る際に受けた教えであります。達磨は、般若多羅の法を継ぎ、禅宗(楞伽宗)を広めたのです。穿った見方かもしれませんが、教条化した仏教に体験的・実践的な仏教(禅宗)を吹き込んだのでは・・・と思います。: 釈迦入滅後1000年経過して禅宗開宗

             達 磨 絵

初転法輪から禅宗開宗まで

○ 初転法輪(仏教の始まり)

仏教の始まりは、紀元前5~6世紀頃でお釈迦さんは、北インドの釈迦族の王子として生まれ、29歳で出家し、苦行の末に35歳頃、菩提樹の下で「悟り」を開から、初めての説教をされたのが、ガンジス川の中流にあるサルナート「鹿野園」という所です。この初めての説法を初転法輪(しょてんほういん)といい、これが仏教の始まりとされています。

また、禅宗の開宗は達磨です。、菩提達磨が、中国・広州の武帝と会い、話をしましたが噛み合わず、達磨は、武帝と会わず広州を去り、揚子江を渡り嵩山少林寺に入り、壁面に向かい坐禅を九年して悟りを開いて「禅宗を開宗」したといわれています。

釈迦も達磨も坐禅をして悟りを開いています。 そして、達磨が師匠の般若多羅の遺言により中国に渡っておりますが、中国に禅宗(初期の禅宗「楞伽宗」)を拡げるためのようです。

初転法輪(最初の説法)

初転法輪とは、お釈迦様が悟りを開いた後、インドのサルナート(鹿野苑)で、かっての修行仲間5人(五比丘)に対して、初めて仏教の教え(法)を説いた出来事です。この最初の説法により、仏教教団が成立し、中道、四諦、八正道の根本教理が伝えられ、これが「仏教の始まり」といわれています。(紀元前5~6世紀の出来事)

○ 禅宗の開宗

禅宗の始まりは、釈尊から数えて、28代目の菩提達磨が禅宗の開祖です。南インドの香至国の第3王子として生まれ、「般若多羅」の下で修業し、師匠没後、その遺言に従い、中国に渡り、仏法を伝えました。達磨が、中国入ったのは、海路で6世紀(520年)と言われています。そして、達磨は、仏教を篤く信仰する梁の武帝と面談するのですが、武帝は自分の善行(寺建立や写経)・功徳を「立派なことをしている」と誇らしく自慢し、達磨に対し「どう思うか ?」と尋ねると、達磨は「無功徳」と一蹴し見返りを求める打算的な信仰を否定しました。また、「廓然無聖(聖なる真理は何か ?)」と武帝に問われ、達磨は「空っぽで、聖なるものなど何もない。真理などない。」と否定しました。さらに続けて、武帝の質問に対し達磨は「不識(しらない)」と答え、二人の会話は嚙み合いませんでした。
そして、達磨は武帝に黙って「梁」を出て、魏の嵩山少林寺に向かい、「面壁九年」、ひたすら坐禅を続る修行に入り、開眼したと言われています。この開眼が禅宗の始まりと言われています。
一説によりますと「面壁九年」は達磨が武帝との面談により「禅宗(楞伽宗)」を説くには中国仏教の意識が低く、時期尚早と達磨は考えて時期を待ってのではないかという説もあります。

仏教の始まりは、「初転法輪」の紀元前5世紀~6世紀と言われ、お釈迦様の入滅は諸説あり確定はしていませんが、現代の研究では紀元前383年頃(80歳)と言われています。
この様に考えると、お釈迦さんが入滅してから、菩提達磨が禅宗開宗をするまでに凡そ1000年余りかかっております。この1000年は何なんでしょう。 

雪舟

禅宗の開祖である達磨大師が、梁の武帝との対話の末に揚子江を渡って北魏へ去ったという伝説(達磨折蘆渡江図)です。
【背景】梁の武帝と面会した達磨は、武帝の「功徳(善行)」を自慢する態度に失望し、言葉を交わすのをやめて長江(揚子江)を渡り北魏の嵩山少林寺に入り、面壁九年の座禅をしたという話を「雪舟」が「揚子江を芦の葉一枚で渡った」と聞いて描いたようです。
雪舟の達磨絵
・面壁達磨図他数点あり

面壁九年
達磨大師が、師匠の般若多羅の遺言に従い「中国に仏教の布教に入ったのが6世紀(520年)」と言われています。梁の武帝と会ったが、不調に終わり梁の国を出て揚子江を渡り、魏の嵩山少林寺に入り、洞窟の壁に向かって坐禅を九年し、悟りを開いたそうです。
達磨大師が中国に入ったのが520年、梁の武帝の元を去り、揚子江を経て嵩山少林寺で面壁九年の座禅をし開眼して禅宗の開祖になったと言われています。中国入りしてから開眼するまで、あまり年数は経っていないと思いますので、禅宗の「始まり」は6世紀を超えていない。大雑把ですが5世紀半ば と思います。

釈迦入滅から禅宗が立ち上がるまで

仏教の始まりは、初転法輪といわれ、紀元前5~6世紀に始まったと言われている。その後、お釈迦様が説法など仏教の布教活動等を行い、入滅されたのは、紀元前383年(80歳)と言われています。
そして、禅宗の始まりは、「面壁九年」の終わった5世紀半ば頃 ? 従って、お釈迦様の入滅から禅宗が立ち上がるまで、凡そ1000年かかっていることになります。
なぜ?釈迦入滅後、凡そ1000年もかかったのでしよろか?

釈迦入滅後の仏教

お釈迦様の入滅は、紀元前383年と言われています。お釈迦様が生きている時の説法などを弟子たちが記憶にとどめ、それを再確認・暗唱して弟子から弟子へと口伝継承され、この口伝を文字化し経典が作られました。口伝内容を文字化(経典化)する前に、記憶・暗唱に携わった弟子たちが集まり、合同で唱和し、お釈迦様からの口伝に齟齬がないかを相互に確認し合う「結集(けつしゅう)」を繰り返し経典が出来上がったようです。約2500年前に釈迦がインドのブッダガヤの菩提樹の下で坐禅を組み、悟りを開き、初めての説法「初転法輪」を行い、仏教が始まりました。その後、釈尊入滅の80歳までの「釈尊の説法」を記憶し、釈迦入滅後は、釈迦から直伝された「教え」を弟子から弟子へと「口伝継承」して文字化する。その時、釈迦からの教示された内容を弟子達が相互にすり合わせして、齟齬がない事を確認して文字化するのです。この作業を繰り返して、仏典が出来上がるのに凡そ400~500年かるそうです。釈尊入滅が紀元前383年とすれば、口伝継承と「結集(けっしゅう)」を繰り返し経典作成に500年かかったとすれば、経典がほぼ完成したのは紀元1世紀過ぎ頃になります。菩提達磨は中国に来たの西暦520年だとすれば仏典が出来ていた時代になります。   
仏教経典が出来ていたとしても、見解・意見の相違などによる対立・分裂が相当あったと推察します。また、釈尊の説法の解釈についても教学的理解に留まり、仏法を実践的・体験的に体得した仏教徒は減り、釈尊入滅後、900年経過して中国に入った菩提達磨の動きを少し追ってみたいと思っております。
ちりあえず、ここでおわらせていただきます。

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